緑黄日記

水野らばの日記

ドジっ子メイドになるしかない

 

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なんたる失態だ。僕は自室のドアの前で途方に暮れていた。

 

先日、カフェでパフェを頬張ってから、ほくほく顔で我が根城であるアパートに帰った。起居する部屋のドアの前に立ち、ポケットから鍵を取り出して鍵穴に挿そうとした瞬間、ドアポストに郵便物が挟まっていることに気が付いた。以前、通販で購入した書籍が届いたのだ。厚めの書籍だったこともあり、配達員さんがポストの奥までしっかりと押し込めなかったのだろう。引き抜くこともできなかったため、僕は鍵を持った手で郵便物をポストの中へと押し込めた。その時である。鍵が郵便物と一緒にポストの中へとするりと吸い込まれ、チャリンと音をたてた。

 

そういうわけで僕は自室のドアの前で途方に暮れていたのである。さっきまで鍵を手にしていたのに、日の打ちどころのない不注意でドアを開ける資格を一瞬にして失ったのである。想像力がとにかく無い。何?調子乗ってカフェで抹茶パフェを食べた罰?一通り途方に暮れてから管理会社へと電話した。

 

 

人生が下手すぎる。

 

僕は人生が下手すぎるのである。遍在する真人間様たちに追いすがろうと、一層の努力を重ねているのだが、有り余る人生の下手さが全てを帳消しにし、剰え借金として重くのしかかっている。周囲の人間が普通にこなしていることが全くできない。不器用とも言う。人生の下手さに直接効く薬が発売されたら確実にオーバードーズしてしまう。

 

例えば、お風呂場で踊っていたらふとした拍子に蛇口を根本から折ってしまう。行き先を確認せずに乗ったバスが知らない交差点で曲がる。木に引かかったボールを落とそうと投げたサンダルが木に引かかる。「蚊に刺された痒みは50度以上のお湯をかけると和らぐ」と聞いて熱湯をかけてしまい火傷する。両手で重い段ボールを抱えている時にドアを開けようと片手を離してしまい、段ボールを落とす。僕が段ボールを落とす前に「手は3本ありませんよ」と教えてくれる妖精的キャラクターが僕の周りを旋回していて欲しい。

 

この人生の下手さは僕の危機感の目盛りが「余裕」と「助けて」のふたつしかないことに起因する。途中の段階、例えば「やや危ないかも」「ここがギリギリ」など間にあるべき目盛りがないため、さっきまでなんてことはなかったのに気がつけば一切が手遅れになっている。鍵を持ったままの手をドアポストに突っ込んだところで「鍵を落としそう!危ない!」というアラートが鳴らないのである。パニック映画なら真っ先に死ぬ。

 

この人生の下手さを何かに活かすことができないのだろうか。人の性質とは容易に変えられるものではない。僕が「お風呂場で踊ると蛇口を折ってしまうかもしれない」と想像を巡らせるような人間になるには人生は些か短すぎる。長所と短所は表裏一体であり、この一見どうしようもないくらいマイナスな性質をプラスに転じることはできないだろうか。人生の下手さを変えられないのであれば、これを生かせる道を探すのが賢明である。

 

もう、メイド喫茶に就職して、「ドジっ子メイド」として活躍するしかない。

 

人生の下手さ、これはつまりは「ドジ」である。可愛らしい失敗を繰り返し、周囲の人間の庇護欲を刺激し、愛されながら生きる道があるのではないか。そう、「ドジ」を生かす仕事、メイド喫茶の「ドジッ子メイド」になれば良いのだ。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様!」

「水野ちゃん、今日もかわいいね。水野ちゃんのためだったら、毎日通っちゃうよ」

「ご主人様いけませんよ。ご主人様はお忙しいのですから」

「あはは、そういえば、なんで片足だけ裸足なの?」

「これはですね、先ほど木に引かかったボールを落とすために靴を投げたら靴が木に引かかってしまったのです」

「そう。今日もフル装備の水野ちゃんを見ることが出来なかったね」

 

 

「はい、お待たせしました。こちら『萌え萌えオムライちゅ♡』です。それでは今から私がケチャップでお絵書きをして魔法をかけますね」

「ごめん、その前にいい?なんで水野ちゃんビショビショなの?」

「これはですね、先ほど、ご主人様への愛を込めて踊りながらオムライスを作っていたら蛇口を破壊してしまって、水が吹き出して止まらなくなってしまったのです。ほら、ご主人様の足元にも水が迫っていますよ。それでは猫ちゃんの絵を描きますね〜」

「やっぱり水野ちゃんはかわいいなあ」

 

 

メイド喫茶の求人ってハローワークにありますか?

「片付け術」を披露したい

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先日、職場に置いてあるテレビを見ていると、「片付け術」なるものが紹介されていた。番組は情報バラエティであるらしく、ある「片付けられない人」のご家庭に「片付けのプロ」と名乗る人物がお邪魔し、収納棚の作り方や、空間の活用方法、ものの取捨選択など、「片付け術」を「伝授」するものであった。その「片付け術」のひとつひとつに、スタジオの演者たちが頻りに関心し、どよめきを挙げ、生活に役立つ情報として視聴者に紹介する流れであった。

 

そのどよめきが脚色や演出であることはわかっているものの、僕は、これがそんなにすごいことなのだろうかと思った。「片付け術」が生活に役立つ情報として、情報バラエティ番組で扱われなくてはならないほど、巷には「片付けられない人」が溢れているのであろうか。いや、「片付けのプロ」が存在する世の中である。おそらく、生活をする空間にものが溢れ、足の踏み場もなく、にっちもさっちもいかず、足の踏み場の孤島で途方にくれる「片付けられない人」を「片付けのプロ」が颯爽と救出する。そんなことが、今まさにこの瞬間にも起こっているのだろう。やはり、僕の既知の範囲など世界のほんの一部でしかない。

 

確かに、職場を見渡しても、デスクの上を書類やらパソコンやら本やらで溢れさせ、窒息寸前の同僚もいる。足の踏み場もないような部屋で生活している人を見聞きしたこともある。僕の勤務する学校のギャルは教室の一角に教科書やクッションや手鏡やセーターやヘアアイロンや化粧道具などを散乱させ、占拠し、担任に立ち退きを勧告されている。「片付けられない人」は確かに存在するのだ。

 

片や僕はというと、「片付けられない人」というワードと対になる言い方をすれば、「片付けられる人」である。ものが溢れて困る経験など記憶にない。僕の起居している安アパートの1Kは空間を持て余すほど理路整然と片付いているし、仕事場のデスク周りなども基本的に綺麗な見栄えである。

 

僕は綺麗好き、几帳面、潔癖症、そういった類の人間である自覚はない。しかし、身の回りを整理整頓によって隅々まで支配している。放置していれば無秩序が広がる空間に秩序をもたらすためにはある程度の気概が必要である。身の回りが綺麗な方が気持ち良いという俗耳に入りやすいという理由もあるが、さらに大きなウェイトを占める理由がある。

 

まず、起居する安アパートの一室であるが、これは「もしかしたら、その日の流れで急に笑顔の素敵な背の低い女性が僕の起居するアパートに遊びに来るかもしれない」という可能性を考慮してのものである。好機というものは往々にして突然転がり込むものだ。いつ何時、可愛らしい女性が僕の住む安アパートの一室に転がり込んでくるかわかったものではない。そういうわけで、お部屋を綺麗に保っているのである。ちなみに、実家を離れ、ひとり暮らしを始めてから7年目になるが、不自然にも、未だ好機に恵まれたことはなく、ただただ「部屋を綺麗にする習慣のある人」になっている。

 

また、仕事場のデスク周りに関しては、業務中にどうしても乱雑となってしまうが、職場を後にする時にはデスクの上に綺麗に整えている。これを習慣にしていると、いざというときに、デスクの上を粗雑なままにすることで、「まだ職場にいる感」を演出しながら職場を抜け出すことができるのである。

 

動機に濃淡はあるものの、つまり、僕は「片付けられる人」である。プロに「片付け術」を伝授される必要がない。そればかりか、これは僕も「片付け術」を「伝授」する資格を有しているのではないだろうか。そういうことなら、一刻でも早く、自身の「片付け術」を紹介し、「片付けられない人」を救う優しさを発揮しなければならない。それでは、水野プロによる「片付け術」をご紹介進ぜよう。

 

第一のステップ『捨てる』

 

まず、何よりも所有するものの総量を減らすことから整理整頓は始まる。人間の支配できる空間には限度があり、そこに詰め込むことのできるものの総量にも限度がある。つまりはものを減らすことが片付けの基本である。ものを次々と捨てる。必要でないものは躊躇なく捨てる。僕のような「片付けのプロ」ともなると、必要か否かを考えるよりも前に捨てている。

 

ちなみに僕の「片付け術」は以上となる。

 

ものをどんどん捨てていくので、この前も必要な書類をシュレッダーにかけてしまい、上司に頭を下げて再発行してもらいました。

教育実習を振り返る

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いつもどおり、いたいけな少年少女たちに科学を説く。しかし、普段と異なる点がひとつだけある。僕の正面、教室の後ろに教育実習生が立っているのだ。彼女は真剣な眼差しで僕と僕の書いた黒板を見つめ、何やらいそいそとノートに書き込んでいる。「僕の授業なんかで学ぶことなどひとつもありませんよ。何か書く必要があるのなら『教師は授業50分間の間に全然椅子に座ったりする』とでも書いといてください」と、こう目で訴えるが、彼女はパッと目を見開いて見つめ返してくるだけである。

 

今週はじめ、僕の勤める学校に教育実習生が来た。なんでもこの学校の卒業生であるらしい。大学で教職(教員免許状を取得する授業)を受講し、理科の先生を目指しているようである。今朝、彼女に「水野先生、○時間目の授業見にいってもいいですか」と言われたのだ。

 

「なんで僕?教員生活半年だよ?」

 

こう思ったし、こう口に出してしまった。僕の担当する学年の授業を見ておきたく、スケジュール的に僕の授業が丁度よかったそうである。そういうわけでこのような状況になった。僕はいつもどおりの授業をしたので終鈴の5分前には授業が終わる。「はい、今日はもうおしまいです!質問あったら呼んでください!」と生徒たちに言ってから教室の後ろにいる教育実習生に話しかける。

 

「ね?学ぶことなんもなかったでしょう?」

「そんなことありません。先生の授業大変勉強になりました」

 

まことに調子がいい。調子の良さでご飯を食べていくつもりか?心にもないことを堂々と言う能力は阿保と外道で構成される現実社会において有用なスキルのひとつである。そのスキルの完成度に僕は感心した。彼女のノートを一瞥すると、僕の授業の記録、板書とそれに対する所感がびっしりと書かれていた。まさか本当に学ぼうとしているのかコイツ。

 

自分の教育実習を思い返してみる。

 

本当にいい加減にこなしていたような気がする。授業見学など、大体は落書きして過ごしていし、授業もなんとなくで行った。僕と同時期に教育実習を行っていた他大学の学生なんかはクラスの自己主張控えめな生徒を「モブ」と呼んでいた。これは定期的に思いだして「学校の先生向いてなさすぎワロタwww」と笑ってしまう。

 

そういえば、教育実習日誌もいい加減に書いていた。

 

教育実習日誌とは、その名の通り、教育実習の日誌である。教育実習生はその日の活動記録や所感をA4裏表に認め、指導教員に提出しなければならない。これが本当に面倒臭い。教育実習日誌は独特の文法構造で書く必要があり、好き勝手に書くことはできない。

 

例えば、「教室には気怠い空気が漂っていた。カーテンの隙間からぬるりと入り込んだ日光が生徒の頬を照らしている。黒板の前では禿頭の男性教師がメンデル氏の発見した遺伝法則をあくせくと説いているが、生徒たちはどこ吹く風、教室に現れた非日常こと私に意識を向けている。大学において、実験データの取り扱い方で指導教員にボコボコにされている身からすると、メンデルの法則をさも『これが科学だ』と大手を降って自我の曖昧な少年少女たちに教えることに疑問を抱くが、科学の入り口としては、中学生の勉強としてはこれくらい簡潔な方が良いのかも知れないとも思う」このような文法構造は許されないのである。

 

仕方なく慣れない文法構造で日誌を書いていた。しかもこれは手書きで書かなくてはならない。なんなんだ!21世紀なんだぞ!前時代的な方法で苦労することこそが、学びや成長につながるとでも考えているのだろうか。これでは宗教ではないか。宗教の信仰は自由であるが、それを遍く人々に押し付けようとする態度はその範疇を超えている。拒否するのもまた自由なのだ。つまりは面倒臭い。考えるのも書くのも面倒臭い。僕は考えた。以前書いたものと同じ内容を書けばいいのでは?

 

教育実習はさほど変わらない毎日の連続である。指導教員をはじめとする教員の授業を見学する、指導案(授業ひとつの計画書)を作成する、指導案をもとに授業をする、この繰り返しである。これは、以前書いた日誌をコピーして提出してもいいのではないか?と考えたのである。

 

結論を言うと、「成人した人間がこんなに怒られることあるんだ」というほど怒られた。これは全面的に僕が悪い。

 

お料理対決をしたい

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夏休みの昼下がり、僕は冷房の効いた6畳の部屋でグダグダしていた。


ベッドに寝っ転がって、可愛い女の子が朝食を作るだけの動画を見る。ああ、可愛いくて万人に愛される背の低い女の子になりたい。背の低いミステリアスな美少女たる僕の笑顔を取り戻すためにたくさんの人が冒険に出てほしい。窓の外では透き通るような青い空に真夏の太陽が燦然と輝き、京都の街を遍く焼いている。


くうくうとお腹が鳴った。そういえば、朝から何も食べてない。空腹をあやすため、「カップ麺でも食べるか〜」と誰に言うでもなく呟き、6畳を這い出して台所に立った。

 

おや?

 

流し台とコンロの間のスペースにカップラーメンの容器が置いてある。どうやら開封済みであるらしい。自問するが心あたりはない。蓋を開け、中を覗いてみると、水を吸ってぶよぶよ膨れた麺が水の中に浮いていた。驚いて「ひっ」と声を漏らした。そうして、これが何であるか理解した。

 

これ朝食じゃんか。

 

今朝、起き抜けの空腹をあやすために「カップ麺でも食べるか〜」とお湯を沸かし、カップラーメンの包装を解き、お湯を注いで出来上がりを待っていた。そして、あろうことかカップラーメンにお湯を注いだことを忘れて、可愛い女の子がクリームソーダを作って飲むだけの動画を見て、「あ〜、可愛い女の子になってクリームソーダにさくらんぼを添えてぇ〜」とのたうち回っていたら、3時間くらい経ってしまったのだ。生活力がないとは思っていたが、まさかここまでとは。これでよく生命活動を維持しているものだ。現代でなければ、路傍で息絶えている。


自嘲しつつ、麺をかき混ぜてみる。流石に食べるのは控えた。夏のキッチンは腐海である。最近、ちっちゃい王蟲を見た気もする。ペニシリンを発見したフレミングよろしく、何か歴史的な発見はないかとカップラーメンをまじまじと観察してみたが、特に何もなかったのでゴミ箱送りの刑に処した。この場合、真に処されるべきは僕であるが。

 

 

僕は『食』に対する興味が薄い。これに元来の人生下手が相まってこのような痴態を演じることになる。以前、冷凍チャーハンを温めようと、冷凍チャーハンを手に電子レンジを開けたら、中に冷凍チャーハンが入っていたことがある。この時ばかりは親に電話を架けようかと思った。


『食』への興味の薄さ、これは味覚が終わっていることが主な要因である。わさび醤油ドレッシングをかけたサラダはお寿司の味がするし、ご飯にマヨネーズをかけて食べるとツナマヨおにぎりの味がする。牛肉と豚肉の判別はつかない。葉物の野菜はトラップである。


食べ物を口に含むと『美味しい』とは感じる。好きな食べ物も嫌いな食べ物もある。好きな食べ物はランチパック、食べ易いから。嫌いな食べ物は焼き魚、食べ辛いから。


しかし、どんなに『美味しい』食べ物を食べても舌周辺のテンションがさほど変わらないのである。漁港近くの海鮮丼も、和牛のステーキも、結婚式場で出されるフランス料理も『美味しい』とは思うが、その『美味しい』はマックのお月見バーガーと同レベルの『美味しい』なのだ。僕の味覚の感度はヒロインが追いかける男の子のように鈍く、味の差異が感じ取れない。


極論ではあるが、「ご飯ってそんなにおいしくある必要なくない?」と思っている。当然の帰結として『食』への興味は薄くなり、自炊も外食もせず、冷凍チャーハンやカップ麺やランチパックを食べる生活になる。先の春に買った包丁はアボカドを一個切ったところで待機を命じられている。

 

『食』への興味が薄いため自炊を全くしないのであるが、料理自体は楽しめるような気がする。『食』の味覚、嗅覚以外の部分に価値を付与する料理のエンターテインメント感は好きだ。例えば、料理における彩、盛り付けなど。これは愛でもある。


自分ひとりだけが食べるのでなければ、誰かに振る舞うのであれば、料理をするのに吝かではない。エンターテイメントとして、料理を楽しめると思うのだ。早く、交際している背の低い女の子とお料理対決をして完敗したい。

 

「ねぇ水野くん、これは何?」
「いや、見ての通り、電子レンジ内で爆発した卵ですけれども」
「なんで卵爆発してんの?レシピに爆発させろって書いてあった?」
「書いてあったし、これで完成ですよ」
「完成品?」
「そう、完成品。どうぞ召し上がれ」

 


昼下がりのアパートの6畳に場面を戻す。

 

僕は己の無力さを痛感しながらぼすんとベッドに倒れ込んだ。Twitterを開く。もう娯楽がTwitterしかない。タイムラインを縦にスクロールしていると友人カップルが「結婚しました!」と婚姻届をふたりで持った写真をアップロードしていた。僕がカップラーメンの麺をふやかしている間に友人が結婚してしまいました。助けてください。

10万円の使い道

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10万円が手に入った。

 

言うまでもなく、特別定額給付金である。世情に当てられた家計への援助という名目で、政府からお金が還付されたのだ。先日、申請していた給付金が口座へと振り込まれた。先日、7月の中頃に。僕の住む京都市において、市民の口座にお金が届き始めてから約1ヶ月後のことである。何故、こうも僕への給付が遅くなったかというと、「いや別に僕はそこまでがっついていませんから」と、狂った自意識によって、届いた申請書をしばらく放っておいたためである。本当は申請書が届いたその瞬間に必要事項を殴り書き、役所の窓口に直接持って行きたいくらいであった。

 

さて、問題はこの10万円を何に使うかということである。「生活費」「貯金」などは論外だ。仕事柄、給料が世情に左右されない僕にとって、この10万円は労せず得たお金、泡銭である。泡銭は『粋』な使い方をしなくてはならない。これは天地開闢以来、大和に生きる人間の責務である。

 

僕は自転車屋さんに向かった。何故、自転車屋さんに向かったのか。これには明確な理由がある。

 

時は80年代後半、日本国中が後に『バブル』と呼ばれる好景気に当てられていた頃である。高級住宅や高級車、高額のゴルフ会員権が飛ぶように売れ、テーマパークやリゾート地、スキー場、高級ディスコはいつも満員。就職活動は超売り手市場、学生は就職先に困らず引く手あまたであり、内定者にハワイ旅行をプレゼントする企業もいたようである。そんな浮かれる世間はどこ吹く風、西国の片隅で国文学を研究する青年がいた。

青年は大学院で研究に励む傍ら、家庭教師を生業としていた。青年が受け持つ生徒の中に開業医の息子、つまりお金持ちのドラ息子がいた。青年が開業医であるドラ息子の父親から与えられたミッションはドラ息子を医学部にねじ込むことであった。そして、青年はそのミッションを成功させた。ドラ息子の医学部合格後、青年はお給料をもらいにドラ息子の家を尋ねた。青年が彼の父親から謝礼として手渡されたのはなんと50万円であった。

青年は開業医の家を後にし、50万円の入った茶封筒を握り締めて、駅までの道をテクテクと歩いた。すると、中古車屋の看板が目についた。青年は立ち止まり、握り締めた茶封筒を一瞥した後、中古車屋にズンズンと足を踏み入れ、50万円弱の中古車を購入した。そして、買ったばかりの自動車に乗って家に帰ったのであった。

 

2020年現在、彼には25歳の息子がいる。かくいう僕、水野らばである。上記は僕の尊敬する父君の青年時代のエピソードである。この父君のエピソードは本当に格好良い。『格好良い』の極北。『格好いいエピソードを持っている人』として駅前に銅像も建つ。まぁ多少脚色はしているが、概ねこんな感じであったようだ。普通の人間がまとまった泡銭を手にすれば、まず、その使い方を吟味することであろう。その吟味が済まないうちに、「えいやっ」とお金を遣うその心意気たるや大変なものである。僕は父君が話すこのエピソードに対して、「父君、まじパねぇっス!」と思った。石橋を叩きもせずに対岸を眺めるばかりの僕である。こういった人生に対する『身軽さ』『大胆さ』は「こうありたい」と強く願うものなのだ。貰ったお金を即刻中古車に換え、それに乗って帰る。僕はこの父君のエピソードに憧れ、その憧憬は野望へと変わっていった。それ以来、僕は泡銭を手にした帰り道にお金を車に換え、その車に乗って家に帰る機会を虎視淡々と狙っていたのである。

 

そういうわけで、自転車屋さんで5万円のクロスバイクを購入した。

 

父君に比べると些かスケールダウン感は否めないが、人間としての格の差を加味すると健闘している方である。それほどまでに父君は大きいのだ。それに大切なことは、帰り道に泡銭で車を買い、それに乗って家に帰ること、ひいては泡銭の使い道を吟味する間も無く、「えいやっ」と遣うことである。これを実現させるために事前準備にも抜かりがない。10万円を手にした帰り道に自転車を買い、その自転車に乗って家に帰れるよう、銀行と自宅の間に自転車屋さんがくるように、10万円を下ろす銀行を選定した。「もう、ここまで計画的だと、それはただの買い物では?」「本末が転倒していないか?」「めちゃくちゃ吟味してる」「5万円ほど貯蓄に回そうとしてるじゃん」と、内なる声が聞こえるが、イヤホンから流れる音楽の音量を上げ、聞こえないふりをした。内なる正論を無視することが人生をより良く生きるコツである。

 

クロスバイクに跨って、帰路に着く。クロスバイク、もっと言うと自転車に乗るのは久しぶりである。3年前、クロスバイクに乗って交差点を渡っていると、突っ込んできた自動車にクロスバイクもろとも跳ね飛ばされた。その時以来のクロスバイクだ。あの、グロテスクに車輪をひしゃげた白いクロスバイクを思い出す。僕はペダルを漕ぐ足に力を入れ、紺色の風になって京都を駆ける。しかし、久しぶりに乗ったクロスバイクのスピード感が怖くて、ママチャリに乗ったおばあちゃんに抜かされながらゆっくりと帰路を走った。

学生気分が抜けていないので残業をしている

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先春、新卒で入った小さな会社を辞め、学校の先生となった。現在、働いて4ヶ月目になる。

 

会社員から学校の先生へ転身をしたわけだが、これは学校の先生になるのが夢だったとか、子供が好きだとか、教育界、ひいては日本を変えたいとか、そういった崇高な理由ではない。移住(大阪から京都に引っ越した)をするのに、たまたま持っていた教員免許を活用するのが手っ取り早かっただけのことである。幸い、学校の先生はどこも人手不足である。今では、狭い教室でいたいけな少年少女たちに科学を説いている。

 

学校の先生は大変である。既に世間に知れ渡っているように、学校の先生とは所謂『ブラック』である。『聖域』としての名残が尾を引いている。学校の先生として働いてみると、「人手不足も然もありなん」という感じである。学校の先生という職業は、「生徒のため」を笠に着て、長時間労働が常態化している。「これをクリアすればミッションコンプリート」というラインのない学校の先生という職業の性質上、業務に終わりなどない。そして、あれもこれもと取り入れた結果、学校の先生個人にかかる業務が雪だるま式に肥大化していき、今ではこんなに大きくなりましたとさ。

 

僕はというと、基本的に定時で帰っていた。パソコンや資料と睨めっこする先輩や上司を尻目に「おつかれさまでーす!」と爽やかな笑顔を振りまいて、ランウェイを歩くように職員室を後にしていたのだ。僕の給料はこの職員室の中で1番安い。僕の業務が最も少なく、僕が1番最初に帰るのが道理であろう。実際はやるべき業務を勝手に中抜きし、軽くなった業務をホイホイと投げるように終わらせているだけなのであるが。今のところはバレていないし、特に問題なく学校が回っているので大丈夫であろう。学校は僕に感謝こそすれ、業務態度を咎めることはないはずである。だってまあまあちゃんと働いているのだから。僕が本気出していれば、今頃は職員室にソファやテレビや本棚を持ち込んで国を作り、勤務時間中はずっとそこでユーチューブをみたり、漫画を読んだりしている。

 

そんな僕であるが、先週はずっと残業をしていた。期末テストの終わったこの時期はテストの採点および成績処理の季節である。授業をはじめとする通常業務に加えて、これらの業務が重くのしかかる。そして、業務量は定時内では絶対に終わらないものになっていた。絶対に終わらないのであれば、これは構造の問題である。構造がおかしいのであれば、業務を完遂できなくても現場最前線で働く僕の責任でなく、仕事を振った人間の責任である。しかし、僕を含む学校の先生の多くはめちゃくちゃな怠惰であり、「できない」ことが出来ないため、サービス残業(学校の先生の残業代は基本的に固定給であり、僕のように残業が少ない学校の先生でも時給に直すと最低賃金を軽く下回る)でこれを補ってしまっている。学校が『ブラック』なのは、この学校の先生の怠惰性、そして、その怠惰で実直な学校の先生の個人プレーに頼りきった学校の、そして行政の無策にあると僕は思っている。

 

先日もサービス残業に追われていた。時刻は8時を回っている。ギリギリまで空に居座り続ける夏の太陽も完全に沈み、窓の外は黒々とした世界が広がっている。少し開けた窓から入り込んだ生暖かい夏夜の空気が頬を撫でた。

 

なぜ、残業代が出ないのにこんなにも働かなくてはならないのだ。労働基準監督署は何をしているのかと憤慨した。生徒の成績処理が全然終わらない。こんなことなら、日頃からコツコツと積み上げておけばよかったと後悔する。そうすれば、今の僕のようにデッドライン直前で慌てふためくような愚行を犯さずに済んだのに。さしずめ、夏休みの終わりに宿題に追われる小学生である。夏休みを始めるための業務でこのような気分なるとは皮肉なものだ。決まった時間内に終わらなかった作業を、時間外にするなんて、「レポートまだ終わってないけど、明日徹夜すればいけるっしょ」という怠惰な大学生の思考と同じである。僕もまだ学生気分が抜けていない。

 

周囲を見渡してみると、職員室の空気は昼間と大差なく、この職員室に在籍する教員のうち、半分くらいが未だパソコンを何やらカタカタさせていた。なぜだ。僕のように業務のペース配分を司る機能が馬鹿になっている新人ならいざ知らず、彼らはこんな遅くまで職員室に残って何をしているのだろうか。よもや僕のように学生気分が抜けていないわけではあるまい。もしかして、パソコンの電源の切り方がわからないのか。教えてあげなくちゃ。それとも、もう少し夜が深まると、この職員室が大人の社交場へと変貌を遂げるのであろうか。もう少し待ってみようかしら。

 

結局その日、学校を出たのは9時過ぎであった。帰宅し、ご飯食べてお風呂入ってツイッターしたらもう寝る時間である。8時間後には家をでないといけない。完全に「健康で文化的な最低限度の生活」の外側にいる。こんな生活は「生きている」と言えない。「人生が続いている」だけのことである。

 

翌日、出勤すると、昨夜僕が退勤するときに職員室に残っていた教員が、もう既に仕事に取り掛かっていた。住んでるの?

うっかり海に行きたい

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教室には気怠い空気が漂っている。

 

天井に設置されている年季の入ったエアコンはハネをパタパタと上下に振り、ギーギーと小さく鳴いている。一生懸命に冷気を届けようとしているが、この暑さの中では心許ない。シャーペンを持つ手にはうっすらと汗が滲み、ノートがふやける。ジメジメと暑い。せめて、生地の薄い夏用スカートを履いてきていれば。ミスった。黒板の前では教師が意味不明な数式を使って、落としたボールの速さがどうのこうのと訳のわからないことを言っている。そんなことを私が知ってどうなるというのだ。鉄球を屋上から落とすな。危ない。

 

tだVだと、異星語の書かれた黒板から、窓の外に視線を移す。真っ青な空に入道雲が要塞のように立ち昇っている。その姿は雄大で、アニメーションの巨匠たちがこぞって空の青と雲の白を描くのもうなずける。その夏の権化とでもいうべき空を眺めていると、ある衝動が全身を駆け巡る。

 

「ああ、海に行きたい」

 

制服のまま、靴下とローファーを脱いで砂浜を踏みしめたい。寄せては返す波に人生を重ねたい。そして、なぜか気になる男の子とふたりきりになって、海の向こうに隠れていく夕日を一緒に眺めたい。本来なら海にいる私がなぜこんなところにいるのだ。未来を担う学生の貴重な青春(ver.夏)をこんな狭く四角い教室で空費させている、その損失、もとい過失に学校は気がついているのか。地動説を唱えたことにより異端審問で有罪となったガリレオに対し、近年のローマ教皇が謝罪したのと同じように、お前らは300年後、私たちに謝ることになるだろう。そんなことを考えていると授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

と、誰しもこんな学生時代があったことだろう。

 

学校をエスケープし、夏に誘われて海に行きたいと願ったことが。そして、それを阻む教師を恨めしく思ったことが。僕は現在、学校の先生をやっており、その教師の立場である。その時、黒板の前で講釈垂れる教師が何を思っているのか。

 

「ああ、海に行きたい」

 

海に行きたいのだ。幕末、黒船と一緒にレジャーとしての海水浴が日本にやってきて以来、こんな天気の日には海に行くのが日本人の習わしである。それなのに、なぜこうも汗だくになり、黒板の前で声を張り上げているのだ。生徒を「僕の海行きを阻む者」として恨めしくさえ思う。僕の場合は、通勤時、バスに揺られている時から「海に行きたい」「このバスが海まで連れて行ってくれないかな」と思っている。殊に、僕は島根県出雲市の生まれであり、青春を日本海と共に生きてきたため、海が恋しいのだ。

 

教室にいる全員の思いは一致している。今度、授業中にクラスみんなで海に行こうかな。

 

 

数年前、「会社員の女性が通勤電車で降りる駅をうっかり逃してしまい、ビーチに来てしまう」というテレビCMがあった。僕も降りる駅をうっかり逃して海に来ちゃいたい。京都市在住だけど。海の神、そして夏の陽気に誘われ、うっかり日本海に来ちゃいたい。

 

朝、勤務する学校に向かう。

 

学校は家の近所のバス停から市バスに揺られて10分ほどのところにある。いつも通り、バスに乗り込む。しかし、うっかりと学校とは反対方向へ向かうバスに乗ってしまう。うっかり。そして着くのは京都駅である。J R京都駅でバスを降りる。この時点ではまだ、いつもの通勤経路を外れていることに気がついていない。なにせ、うっかりしているので。

 

J R京都駅では窓口で特急券を買う。ついでに駅弁も買う。これまたうっかり。うっかりの人。うっかり日本代表。そして0番ホームで待つ。このあたりでは、「“0”ってかっこいいよな。異端さがかっこいい。インドで生まれたという“出自”がはっきりしているのもかっこいい」などと考えている。白く長い電車が0番ホームに入ってくる。大阪、京都と北陸を繋ぐ特急、『サンダーバード』である。僕はこれにうっかりと乗り込んだ。旅券に書かれた番号の座席を探し、ぼすんと座る。そして、発車した『サンダーバード』に揺られ、流れゆく景色をボーッと見つめるのだ。少しすると大きな湖が見えてくる。琵琶湖だ。さすがにこの辺りで気が付き始める。「もしかして通勤経路から外れてる?」

 

なんやかんやあって、僕は日本海を臨むビーチにいる。マリンブルーの海が宝石のようにキラキラと光る。真っ白な焼けた砂の上に仰向けに倒れ込む。夏の日差しが眩しい。

 

「水野先生、それで、今どこにいるんですか?」

「わからないです。潮の香りがします」

 

あー海いきたい。