緑黄日記

水野らばの日記

学生気分が抜けていないので残業をしている

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先春、新卒で入った小さな会社を辞め、学校の先生となった。現在、働いて4ヶ月目になる。

 

会社員から学校の先生へ転身をしたわけだが、これは学校の先生になるのが夢だったとか、子供が好きだとか、教育界、ひいては日本を変えたいとか、そういった崇高な理由ではない。移住(大阪から京都に引っ越した)をするのに、たまたま持っていた教員免許を活用するのが手っ取り早かっただけのことである。幸い、学校の先生はどこも人手不足である。今では、狭い教室でいたいけな少年少女たちに科学を説いている。

 

学校の先生は大変である。既に世間に知れ渡っているように、学校の先生とは所謂『ブラック』である。『聖域』としての名残が尾を引いている。学校の先生として働いてみると、「人手不足も然もありなん」という感じである。学校の先生という職業は、「生徒のため」を笠に着て、長時間労働が常態化している。「これをクリアすればミッションコンプリート」というラインのない学校の先生という職業の性質上、業務に終わりなどない。そして、あれもこれもと取り入れた結果、学校の先生個人にかかる業務が雪だるま式に肥大化していき、今ではこんなに大きくなりましたとさ。

 

僕はというと、基本的に定時で帰っていた。パソコンや資料と睨めっこする先輩や上司を尻目に「おつかれさまでーす!」と爽やかな笑顔を振りまいて、ランウェイを歩くように職員室を後にしていたのだ。僕の給料はこの職員室の中で1番安い。僕の業務が最も少なく、僕が1番最初に帰るのが道理であろう。実際はやるべき業務を勝手に中抜きし、軽くなった業務をホイホイと投げるように終わらせているだけなのであるが。今のところはバレていないし、特に問題なく学校が回っているので大丈夫であろう。学校は僕に感謝こそすれ、業務態度を咎めることはないはずである。だってまあまあちゃんと働いているのだから。僕が本気出していれば、今頃は職員室にソファやテレビや本棚を持ち込んで国を作り、勤務時間中はずっとそこでユーチューブをみたり、漫画を読んだりしている。

 

そんな僕であるが、先週はずっと残業をしていた。期末テストの終わったこの時期はテストの採点および成績処理の季節である。授業をはじめとする通常業務に加えて、これらの業務が重くのしかかる。そして、業務量は定時内では絶対に終わらないものになっていた。絶対に終わらないのであれば、これは構造の問題である。構造がおかしいのであれば、業務を完遂できなくても現場最前線で働く僕の責任でなく、仕事を振った人間の責任である。しかし、僕を含む学校の先生の多くはめちゃくちゃな怠惰であり、「できない」ことが出来ないため、サービス残業(学校の先生の残業代は基本的に固定給であり、僕のように残業が少ない学校の先生でも時給に直すと最低賃金を軽く下回る)でこれを補ってしまっている。学校が『ブラック』なのは、この学校の先生の怠惰性、そして、その怠惰で実直な学校の先生の個人プレーに頼りきった学校の、そして行政の無策にあると僕は思っている。

 

先日もサービス残業に追われていた。時刻は8時を回っている。ギリギリまで空に居座り続ける夏の太陽も完全に沈み、窓の外は黒々とした世界が広がっている。少し開けた窓から入り込んだ生暖かい夏夜の空気が頬を撫でた。

 

なぜ、残業代が出ないのにこんなにも働かなくてはならないのだ。労働基準監督署は何をしているのかと憤慨した。生徒の成績処理が全然終わらない。こんなことなら、日頃からコツコツと積み上げておけばよかったと後悔する。そうすれば、今の僕のようにデッドライン直前で慌てふためくような愚行を犯さずに済んだのに。さしずめ、夏休みの終わりに宿題に追われる小学生である。夏休みを始めるための業務でこのような気分なるとは皮肉なものだ。決まった時間内に終わらなかった作業を、時間外にするなんて、「レポートまだ終わってないけど、明日徹夜すればいけるっしょ」という怠惰な大学生の思考と同じである。僕もまだ学生気分が抜けていない。

 

周囲を見渡してみると、職員室の空気は昼間と大差なく、この職員室に在籍する教員のうち、半分くらいが未だパソコンを何やらカタカタさせていた。なぜだ。僕のように業務のペース配分を司る機能が馬鹿になっている新人ならいざ知らず、彼らはこんな遅くまで職員室に残って何をしているのだろうか。よもや僕のように学生気分が抜けていないわけではあるまい。もしかして、パソコンの電源の切り方がわからないのか。教えてあげなくちゃ。それとも、もう少し夜が深まると、この職員室が大人の社交場へと変貌を遂げるのであろうか。もう少し待ってみようかしら。

 

結局その日、学校を出たのは9時過ぎであった。帰宅し、ご飯食べてお風呂入ってツイッターしたらもう寝る時間である。8時間後には家をでないといけない。完全に「健康で文化的な最低限度の生活」の外側にいる。こんな生活は「生きている」と言えない。「人生が続いている」だけのことである。

 

翌日、出勤すると、昨夜僕が退勤するときに職員室に残っていた教員が、もう既に仕事に取り掛かっていた。住んでるの?