緑黄日記

水野らばの日記

10万円の使い道

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10万円が手に入った。

 

言うまでもなく、特別定額給付金である。世情に当てられた家計への援助という名目で、政府からお金が還付されたのだ。先日、申請していた給付金が口座へと振り込まれた。先日、7月の中頃に。僕の住む京都市において、市民の口座にお金が届き始めてから約1ヶ月後のことである。何故、こうも僕への給付が遅くなったかというと、「いや別に僕はそこまでがっついていませんから」と、狂った自意識によって、届いた申請書をしばらく放っておいたためである。本当は申請書が届いたその瞬間に必要事項を殴り書き、役所の窓口に直接持って行きたいくらいであった。

 

さて、問題はこの10万円を何に使うかということである。「生活費」「貯金」などは論外だ。仕事柄、給料が世情に左右されない僕にとって、この10万円は労せず得たお金、泡銭である。泡銭は『粋』な使い方をしなくてはならない。これは天地開闢以来、大和に生きる人間の責務である。

 

僕は自転車屋さんに向かった。何故、自転車屋さんに向かったのか。これには明確な理由がある。

 

時は80年代後半、日本国中が後に『バブル』と呼ばれる好景気に当てられていた頃である。高級住宅や高級車、高額のゴルフ会員権が飛ぶように売れ、テーマパークやリゾート地、スキー場、高級ディスコはいつも満員。就職活動は超売り手市場、学生は就職先に困らず引く手あまたであり、内定者にハワイ旅行をプレゼントする企業もいたようである。そんな浮かれる世間はどこ吹く風、西国の片隅で国文学を研究する青年がいた。

青年は大学院で研究に励む傍ら、家庭教師を生業としていた。青年が受け持つ生徒の中に開業医の息子、つまりお金持ちのドラ息子がいた。青年が開業医であるドラ息子の父親から与えられたミッションはドラ息子を医学部にねじ込むことであった。そして、青年はそのミッションを成功させた。ドラ息子の医学部合格後、青年はお給料をもらいにドラ息子の家を尋ねた。青年が彼の父親から謝礼として手渡されたのはなんと50万円であった。

青年は開業医の家を後にし、50万円の入った茶封筒を握り締めて、駅までの道をテクテクと歩いた。すると、中古車屋の看板が目についた。青年は立ち止まり、握り締めた茶封筒を一瞥した後、中古車屋にズンズンと足を踏み入れ、50万円弱の中古車を購入した。そして、買ったばかりの自動車に乗って家に帰ったのであった。

 

2020年現在、彼には25歳の息子がいる。かくいう僕、水野らばである。上記は僕の尊敬する父君の青年時代のエピソードである。この父君のエピソードは本当に格好良い。『格好良い』の極北。『格好いいエピソードを持っている人』として駅前に銅像も建つ。まぁ多少脚色はしているが、概ねこんな感じであったようだ。普通の人間がまとまった泡銭を手にすれば、まず、その使い方を吟味することであろう。その吟味が済まないうちに、「えいやっ」とお金を遣うその心意気たるや大変なものである。僕は父君が話すこのエピソードに対して、「父君、まじパねぇっス!」と思った。石橋を叩きもせずに対岸を眺めるばかりの僕である。こういった人生に対する『身軽さ』『大胆さ』は「こうありたい」と強く願うものなのだ。貰ったお金を即刻中古車に換え、それに乗って帰る。僕はこの父君のエピソードに憧れ、その憧憬は野望へと変わっていった。それ以来、僕は泡銭を手にした帰り道にお金を車に換え、その車に乗って家に帰る機会を虎視淡々と狙っていたのである。

 

そういうわけで、自転車屋さんで5万円のクロスバイクを購入した。

 

父君に比べると些かスケールダウン感は否めないが、人間としての格の差を加味すると健闘している方である。それほどまでに父君は大きいのだ。それに大切なことは、帰り道に泡銭で車を買い、それに乗って家に帰ること、ひいては泡銭の使い道を吟味する間も無く、「えいやっ」と遣うことである。これを実現させるために事前準備にも抜かりがない。10万円を手にした帰り道に自転車を買い、その自転車に乗って家に帰れるよう、銀行と自宅の間に自転車屋さんがくるように、10万円を下ろす銀行を選定した。「もう、ここまで計画的だと、それはただの買い物では?」「本末が転倒していないか?」「めちゃくちゃ吟味してる」「5万円ほど貯蓄に回そうとしてるじゃん」と、内なる声が聞こえるが、イヤホンから流れる音楽の音量を上げ、聞こえないふりをした。内なる正論を無視することが人生をより良く生きるコツである。

 

クロスバイクに跨って、帰路に着く。クロスバイク、もっと言うと自転車に乗るのは久しぶりである。3年前、クロスバイクに乗って交差点を渡っていると、突っ込んできた自動車にクロスバイクもろとも跳ね飛ばされた。その時以来のクロスバイクだ。あの、グロテスクに車輪をひしゃげた白いクロスバイクを思い出す。僕はペダルを漕ぐ足に力を入れ、紺色の風になって京都を駆ける。しかし、久しぶりに乗ったクロスバイクのスピード感が怖くて、ママチャリに乗ったおばあちゃんに抜かされながらゆっくりと帰路を走った。