緑黄日記

水野らばの日記

思い出せない幸せになりたい

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先日、Twitterで仲良くさせていただいている方にある短歌の歌集を勧められた。

 

俵万智さんの歌集『かぜのてのひら』である。僕の「俵万智さんなんかいいよね〜ぐへへ」という阿保丸出しツイートに対してリプライをくれたのである。嬉しいかぎりだ。

 

僕は俵万智さんの詠む短歌が好きである。河川を睥睨する土手に腰かけ、少し強い風にページを捲られながら『サラダ記念日』読む。そんな文学少女じみたこともしている。そんなわけで、彼女の歌集は一通り履修してきている。『かぜのてのひら』も例に漏れない。読んだのは中学生の頃だっただろうか、いや、高校生か、曖昧である。父の書斎の片隅で、俵万智さんの他の歌集やエッセイと一緒に行儀良く並んでいた気がする。どんな歌集であったか、記憶を辿るが短歌のひとつも思い出せない。記憶の中の歌集をめくっても白紙ばかりである。しかし、この歌集を読んで、「世界の美しさって言語化できるのかよ」と、ひどく感銘を受けたのを覚えている。詳細を思い出すことはできないけれど、あの本よかったなあという自分の感情だけは記憶に残っている。

 

ここまで思いを巡らして、「お、これいいな」と思った。

 

何があって、何を見て、何を聞いたか、隣には誰がいたか、どんなものを食べたか、何に触れたか。元となった出来事は覚えていないけれど、踊った感情だけはしっかりと記憶に刻まれている。そんな情動である。良い。めちゃくちゃ良い。俵万智さんならこれを元に一首詠んでいる。もう歌集に載っているかもしれない(あったら教えてね)。

 

今をときめくスリーピースバンド、Saucy Dogの楽曲の中に『月に住む君』という歌がある。

 

 


Saucy Dog「月に住む君」MUSIC VIDEO

 

遠い昔、君と月に住んでいた。そんな夢みたいな話でも、そう思うと夜空に浮かぶ月が愛しく思えてくる。こういった楽曲である。現実と夢のふわふわした曖昧さを描いた叙述的な歌詞をボーカルの石原さんが熱く、そして優しく歌い上げる。解釈の余白の多い歌であるが、Saucy Dogが『別れ』を曲のテーマに選ぶことが多いため、この曲も悲しい想像をしてしまう。この曲の中にこんな歌詞がある。

 

思い出せないけれど幸せだったような気がしてる


夢の中、月の上。そこで君との間にあった出来事は忘れてしまったけれど、幸せだったのは覚えているよ。そんな風に石原さんは歌っている。

 

俵万智さんの歌集の話から思考を巡らし、この曲に思い当たった時、「ほら見たことか!」と声に出してしまった。会社のデスクで。仕事中に。声を張り上げたものだから仕事をさぼっているのが先輩にばれた。

 

僕は自分の心情を歌った曲を脳内のライブラリーから探す手癖がある。ほとんど、学者が権威ある論文を引用して自分の理論を補強するように、自分の心情を歌った曲を探して、「ほら!ここにも、そう書いてあります!」と高らかに主張するのである。主張する先は暗暗たる虚無であり、こんなことに意味などないのだが。

 

僕も、誰かの『思い出せないけれど幸せだったような気がしてる』になりたいものである。例えば大学時代はどうであろうか。大学時代、僕は友人が一人も出来ず、会話をする相手といえば、指導教官たる教授だけであった。同じ学科の同級生にとって『思い出せない』ところまでは来ている。後は『幸せだったような気』にさせるだけだ。