夏目漱石を恨む
コンビニを出る。3月となったのにまだまだ寒い。
見上げると、東の空に月が輝いていた。コンクリートジャングル大阪がその光量の多さを遺憾無く発揮しているが、それにも負けず月は綺麗である。調べると、もうすぐ満月であるらしい。月が綺麗だと遠回りして帰ってしまう。僕は生粋のロマンチストなのでこういうことをする。カルボナーラとポテチと洗顔を抱えたロマンチストなので。
月といえば、かの夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳したという眉唾な逸話が有名である。僕は彼に言いたい。「なんなんだお前」と。
断っておくが、僕は夏目漱石が大好きである。彼の作品、特に前期の作品を愛読している。また、彼の言葉『ただ、牛のように、図々しく進んでいくのが大事です』は僕の座右の名となっている。「もうダメぽよ〜ふえぇ〜」となったとき、この言葉のおかげで歩みを止めないでいられた。この言葉に何度救われたことか。しかし、時には『牛』を都合よく使ってしまい、「牛だって眠い時は寝るし、作業ほっぽり出して寝よう」「ダイエット中だけど、牛だってお腹空いたらご飯食べるし、夜中にポテチ食べちゃおう」など『牛』を免罪符に目の前の問題から逃げ出すことがよくある。
さて、閑話休題である。夏目漱石なんなんだお前、お前のせいで困っているんだぞ。
説明しよう。
職場の飲み会の帰路、駅に向かって歩く。傍らには可愛らしい女性がいる。彼女は職場の先輩である。何かと目をかけてくれる優しい女性だ。僕は彼女にうっすらと好意を抱いているが、彼女には恋人がいる。僕はこの好意を胸に留めておくばかりにした。紳士として当然のことである。
ふと見上げると正面にまん丸の月が輝いていた。僕の心の曇天模様とは裏腹に、星たちに囲まれた月がその美しさを存分に放っていた。
「あ、見てください。月、綺麗ですよ」
僕がそういうと彼女が足を止めた。振り返って彼女を見ると暗い顔で俯いている。
「どうしたんです」
数秒間の沈黙の後、彼女が口を開いた。
「ごめんね、水野くんとはそういう関係になれない」
はてな、意味がわからない。月が綺麗ですねと言っただけではなないか。2人の間に沈黙が横たわる。そしてようやく合点がいった。夏目漱石のアレである。僕がただ日常会話として、月の綺麗さを共有しようと言った『月が綺麗ですね』が彼女の中で『I love you』と翻訳されてしまったのだ。僕は慌てて説明する。
「いや、そうじゃなくてですね。月が、あの綺麗なので、単純に。そ、そういう意図はなくてですね」
何を言っても虚しいばかりである。もう彼女の中で僕は、なんか好意を伝えてきた無神経で意味不明な勘違い野郎である。
「ごめん、帰るね」
彼女は小さくそう呟くと駅方面へと足早に去っていった。ひとり残された僕を月が虚しく照らす。
こんなことが起こる可能性がある。夏目、お前のせいだぞ。他にもこんなパターンがある。
職場の飲み会の帰路、駅に向かって歩く。傍らには可愛らしい女性がいる。彼女は職場の先輩である。僕らは、『まだ』恋人どうしではない。彼女とは休日にふたりで音楽ライブに行ったり、水族館に言ったり、映画を見にいったりしている。僕は彼女に好意を抱いているし、彼女からの好意も多々感じている。いわゆる『出会ってから付き合うまでのあの感じ』である。ありがとうSHE IS SUMMER。
ふと見上げると正面にまん丸の月が輝いていた。あれ。僕は気がついた。月が汚いのである。薄汚れているし、埃っぽい。何か茶色い汁が滴っている。僕は目をゴシゴシと摩った。しかし、何度見ても月が汚い。
「先輩、なんか今日の月、汚くないですか」
僕がそういうと彼女が足を止めた。振り返って彼女を見ると暗い顔で俯いている。
「どうしたんです」
数秒間の沈黙の後、彼女が涙をこぼしながら口を開いた。
「うん、わかった。ごめんね今まで付き合わせちゃって。ごめんね」
はてな、意味がわからない。月が汚いと言っただけではなないか。2人の間に沈黙が横たわる。そしてようやく合点がいった。夏目漱石のアレである。僕がただ日常会話として、月の汚さを共有しようと言った『月が汚いですね』が彼女の中で『月が汚い』→『月が綺麗でない』→『I love youでない』と変換されてしまったのだ。僕は慌てて説明する。
「いや、そうじゃなくてですね。月が、見てください、汚いから。単純に。そ、そういう意図はなくてですね」
何を言っても虚しいばかりである。もう彼女の中で僕は自分を袖にした男である。
「ごめん、帰るね」
彼女は小さくそう呟くと駅方面へと足早に去っていった。ひとり残された僕を月が虚しく照らす。
僕は女性とふたりで夜道を歩いた経験はないのだが、こんなことを想像してしまう。図々しいロマンチストの牛なので。