緑黄日記

水野らばの日記

世界はそのうち星野源で満たされる

f:id:rabamizuno:20210404180851j:plain

 

 

星野源の楽曲に『創造』がある。

 

www.youtube.com

 

 

これは彼の最新曲であり、任天堂のゲーム『スーパーマリオブラザーズ』の35周年テーマソングとして制作されたものである。メロディの中に様々なゲーム音を混ぜながらも、トラックメーカー星野源としてのポップミュージックを成立させている。歌詞には任天堂の歴史を随所に匂わせ、また、「死の淵から帰った 生かされたこの意味は 命と共に 遊ぶことにある」とニューゲームを繰り返すマリオと死の間際に迫った経験を持つ自分を重ねている点も秀逸である。しかも、この歌詞の前にマリオが死んだ時の音を挿入している。もう、全てが凄まじい。言うまでもなく傑作だ。このような楽曲を創作できる星野源は流石という他ない。

 

この楽曲に初めて触れたとき、私は「こいつ、またやりやがったな」と思ったし、「こいつ、またやりやがったな」と口に出してしまった。感動し、驚嘆し、なおかつ「なんなんだお前」と憤りを感じたのである。

 

私は星野源のファンであり、彼の楽曲を好んで聴いている。彼との出会いは人気曲となった『SUN』だ。この楽曲を耳にしたとき、ポップでありながらブラックミュージックを基調としており、それがキャッチーにまとめられている音楽に心惹かれ、すぐさまCDレンタルショップに走った。そこから、彼の楽曲を繰り返し聴き、人気に比例して楽曲にかけられているお金が増えることに爆笑し、ライブのDVDを見てはパーカーのフードの立ち具合に感動し、二階堂ふみさんとのキスシーンに憤慨し、新垣結衣さんとのキスシーンに憤慨し、現在勤めている高校で生徒に「サインください」と手渡された紙に「星野源」と書いたりした。

 

そんな私であるが、星野源にはいささかムカついている。彼が新しい曲を出すたびに彼に対して「なんなんだお前」と思っている。今回の『創造』では今まで溜め込んだ「なんなんだお前」が爆発した。星野源、本当になんなんだ。この「なんなんだお前」の理由は星野源の楽曲のタイトルにある。

 

「創造」て。

 

さまざまなゲームを制作してきたゲーム会社のタイアップ作品に『創造』というタイトルを付けている。常人にはできない所業である。確かにこの作品のテーマは「ものづくり」にある。この楽曲を名付けるにあたって、この根源的、中心的テーマをそのままタイトルに躊躇なく選びとることができる男、それが星野源なのだ。この姿勢に私は「なんなんだお前」と思った。

 

この『創造』だけではない。星野源は胸を張ってその中心、根源を選び取る。ダンスと共に爆発的な人気を誇った『恋』だってそうだ。「恋」て。恋愛をテーマにした楽曲に「恋」と名付ける男、星野源。他にもギャグ漫画が原作の映画主題歌に『ギャグ』、ボディーソープのcmに『肌』、めざましどようびのテーマソングに『Week End』である。なんなんだお前は。概念にラベリングしていく神か。

 

極め付けは『ドラえもん』の主題歌である。『ドラえもん』のタイアップを依頼された星野源が作成した楽曲にどのようなタイトルをつけたか。

 

「ドラえもん」

 

神をも、藤子不二雄先生をも恐れぬ所業である。『ドラえもん』は多くのミュージシャンが主題歌を担当してきた。これから先も多くのタイアップ作品が生まれることだろう。しかし、ドラえもんのタイアップ作品に「ドラえもん」と名付けられるチャンスは一度きりである。その一度を自ら選び取れる、星野源はそういう男なのである。世が世なら「星野源」が古事成語になっている。

 

星野源がこの調子でコンテンツを総ざらいし続けると、日常のあらゆる場所に星野源が顕れるようになる。我々の歩く道は全て星野源に通じ、そのうち、世界は星野源で満たされる。「愛」「人生」「言葉」「絵」「色」「感情」「正義」「悪」あらゆる概念に星野源が宿る。そして、世界は星野源と一体となる。やがて、世界は「星野源」と呼ばれるようになる。

 

最後に星野源が引退作として出しそうな楽曲のタイトルを言って終わる。

 

『音楽』

 

星野源はこれくらいならやりかねない。なんなんだお前。